その立役者のひとり。
ローズ役のソフィア・グリフィスは、最近めっきりきれいになった、とささやかれはじめた。
黒曜石のような黒い瞳と漆黒の髪、白い肌に浮かぶソバカスの海。少年のようにスレンダーな体型。
輝くプラチナブロンドや女神のようにゴージャスな体型を持つ美人ぞろいのストラスフォード劇団の中で、彼女は、雨に濡れた『みすぼらしいカラス』のようだと思われていた。地味で冴えない新人。
そんなソフィアが、受かるはずのないオーディションで、主役のローズに抜擢された時、ストラスフォード劇団の誰もがその配役に驚いた。
「あんな地味な子が、ヒロインのローズ役ってどういうこと?」
「色気もないやせっぽっちに、魅力的なローズがつとまるもんですか!」
「幹部は何を考えているの?」
「見た目が悪いんだから、演技は抜群にうまいんでしょうよ。」
あからさまにそんなことを口にする先輩女優たちがいて、ソフィアは嫉妬の渦に引きずりこまれてしまったのだった。
そもそも「マイガール」は、登場人物の数が少なく、小さなカンパニーだったこともあって、先輩俳優たちがわざとソフィアに距離をとっていることはあっという間に広まってしまった。
すると、新人俳優たちも先輩俳優の目を気にして彼女を遠巻きにしはじめる。
俳優たちが彼女に話しかけるのは、芝居に関係する必要最小限のことだけ、という状態が続き、稽古の間も公演が始まってからも、ソフィアはあからさまに仲間はずれにされていた。
それでも、ソフィアはそれを気にする風(ふう)もなく、ひとり黙々と稽古をこなし、日々懸命に舞台に集中しているようだった。
休憩時間には、台本を読み込んで何かを書き込んだり、バレエの基本の動きでひとり黙々と体作りに励み、発声を豊かに鍛えようと努力していた。
うっすらとついたバレリーナのような質の良い筋肉と洋服の上からではわからないしなやかな身体。春の風のように、耳に心地の良い柔らかな「声」
最初の頃こそ舞台上で、ピンと張りつめた糸のような雰囲気をまとっていたソフィアも、日がたつにつれ、かたいつぼみが花開くように、ふとした瞬間、魅力的な表情をたくさん見せるようになってきた。
そんなことを口にしたが、周りの人間は突拍子のない話だと誰も相手にしていなかった。
「あのテリュースと似たヤツなんてそうそういないだろ。サイモンも、とうとうヤキが回ったのか?」
仲のいいショーンですら、そんなことを言ってサイモンをバカにしていた。
しかし最近では、「プレイス・マガジン」の大御所評論家がテリュースとソフィアを『まさにカイルとローズそのものだ』と好意的なコメントをしたり、ふたりの写真入りの記事が有名なニューヨーク・ワールド紙に取りあげられるなど、テリュースとソフィアが「似たタイプ」というのもあながち間違ってはいないのかもしれない、周りもそんなことを思い始めた矢先。
その、ソフィアを『飲みに誘わないか』とショーンが言い出した。
「あの新人、ずいぶんきれいになったよな。相変わらず華やかさはないけど、一皮むけたっていうか、サナギから蝶になった、って言うか。」
艶のある絹のような夜色の髪、すんなりと伸びた長い手足、笑うと木漏れ日が射し込んでくるような屈託のないソバカスだらけの明るい笑顔。
「確かに彼女、頭がいいのか、飲み込みも早いし、ブライアンもゲネスも気に入っているようだよな。日に日に演技もうまくなっているし。」トビーまでそんなことを口にするまでになっていた。
「おい、いつもの悪い癖なら、やめとけよ、ショーン。彼女はお前とは似合わない。」
サイモンが、呆れたようにショーンをきつく牽制する。
「わかってるって。ブライアンとゲネスのお気に入りに傷をつけたらこっちが干されちまう。」
ショーンの女癖が悪いのは、ストラスフォードの中でも知れわたっていた。
金髪で青い瞳のハンサムな青年は、恋の手練手管に長けていた。劇団の若い女優から街で見かける女性まで見さかいがなかった。
「ショーン、そもそも何とかってカフェのアンジェラとはどうなったんだ?お前、ちょっと前までは何かって言えば、『アンジェラ、アンジェラ』って言ってたぞ。」
「ああ・・・。だったかな・・・。悪い子じゃないんだが、つまんないんだよな、彼女。一途って言うか、重いっていうか俺に夢中になっちゃって。」
ショーンはサイモンの話など聞いていなかった。ただもうソフィアと話してみたい、その思いで頭はいっぱいだった。
結局、サイモンに釘をさされたものの、ショーンはどうしてもソフィアを飲みに誘わずにはいられなかった。そこでもうひとりの仲間、トビーにこっそり声をかけ、カーテンコールが終わるとすぐにソフィアに近付いた。
「今日はザックバランに芝居について話そうと、これからカンパニーのみんなで飲みに行くんだ。たぶん、テリュースも来るはずだから、ソフィアも行こうぜ。」
と誘いかけた。
ソフィアは一瞬驚いたようだったが、カンパニーのみんなが参加するなら、とその店に行くことを承諾したのだったが・・・。
眩しく陽のあたる場所には必ず、それと対比するように影ができるものだ。
それは、ここ夢の街ブロードウェイではなおさら、光と影のように明確に夢や栄光をつかんだ者とそうでない者の格差があらわになってしまう。
行き交うストリートや区画でも表れることがあるし、服装や住むところ、出入りする店にもそれは如実に表れる。
名門ストラスフォード劇団員とはいうものの、まだアンサンブルキャストのショーンとトビーがやってきたのは、スプリングガーデン劇場のある通りから3ブロック離れた売れない役者が多く集まる行きつけの酒場だった。
決してブロードウェイのスターやセレブリティはやってこない店。
こういう「不満」や「満たされない心」を癒す店、影を背負う場所では、誰かを蹴落とす「執念」や「妬み」「いさかい」が渦巻いていることも多かった。
「あれ?みなさんはいらっしゃってないんですか?」
ショーンの話では、『カンパニー全体で飲む』、という話だったのに、店に入るとメンバーが誰もいないことにソフィアはかなり驚いたようだった。
「ああ。少人数の方が芝居の話をするには好都合だろ?」
ショーンが悪びれた様子もなく、ニヤリと笑う。ソフィアは困惑したようにショーンとトビーを見た。
「あの、だったら私、今日は帰らせていただきます。」
ソフィアはショーンにはっきりと告げた。
「そんなつれないこと、言わないでくれよ。君と話してみたかっただけなんだからさ。」
「そうだよ。俺たち、別にとって喰おうってわけじゃないんだから。」
トビーがショーンの言葉に重ねる。
「でも、私・・・やっぱりひとりじゃあ・・・」
ソフィアが出口に引きかえそうとするのをショーンがとおせんぼしてひきとめた。
「一杯だけ。一杯だけ付き合ってくれよ。」
そのやり取りをすぐ近くのテーブルで聞いていた4人グループの酔っぱらいの男たちがショーンをからかうようにいう。
「兄ちゃん、フラれちゃったね。しつこい男は嫌われるよ。」
「ほっといてくれ!俺は別に言い寄ってるわけじゃないからな。同僚とはなしをしようとしているだけだ。」
うるさそうにショーンが怒鳴る。すると『同僚』という言葉に酔っぱらいの男がソフィアを見て、
「おや、待てよ。この女、どこかで見たことがあるぞ。」
「本当だ。どこで見たんだ?」
とワイワイ騒ぎはじめた。
まずい__。
ショーンとトビーは、ソフィアの顔が売れはじめていることを思い出した。こんなやつらまでソフィアの顔を知っているのか。
自分たちは所詮、アンサンブルキャストの役者だ。役柄には「市民A」とか「村人C」とかしかつかない。よほどの芝居ファンでもない限り、顔なんぞ知られていない。ソフィアに、自分たちと同じ行動をさせてしまったことを今さらながら、焦るのだった。
だが、もう今となっては仕方ない。酔っぱらいなんて、どうにでもごまかせる。ショーンはそうたかをくくっていた。
「うるせー、酔っぱらい。俺たちに構うな!」
ショーンがソフィアの顔を覗き込もうとした酔っぱらいの男の肩を押し退けた。
「いってぇー。何しやがるんだ!」
「お前が先にちょっかいかけてきたんだろーが!」
「俺は、お前を知ってるぞ。3日前にもこの店にきて、客の女の子をしつこく誘っていた男だよな。」
酔っぱらいは、ショーンに見覚えがあるらしかった。
「そうだ、お前、女の子を口説こうと俺はストラスフォードの俳優だ、とかって自慢して
いたな。」
「ああ、そうだ。俺も覚えている。あの後、あんなヤツみたことねーぜ、ってみんなで笑ったんだ。」
「そうだ、そうだ。売れない俳優野郎が偉そうにすんな。」
4人の酔っぱらいが、口々にはやし立てた。
1番気にしていることをソフィアの前で言われたショーンは、怒りのあまり唇をワナワナと震えさせ、拳を握りしめた。
「おっ、こいつ、図星をさされて言い返せないらしいぞ!」
うわはははっ!
バカにしたような笑いがどっと起こり、ソフィアが助けを求めるようにトビーを見たのをショーンは視界の端でとらえた。
情けない気持ちと憤る気持ちがまじりあって爆発し、咄嗟にショーンの拳が1番近くにいた酔っぱらいの顔面に炸裂した。
「ぎゃっ」
予期せぬショーンの反撃をまともにくらった相手は、顔面を抑えてうずくまった。鼻血が指の間からしたたり落ちている。
「やりやがったな!不意打ちはきたねえぞ!」
「腐れ俳優が!」
それを合図にしたように酔っぱらいたちがショーンとトビーに襲いかかった。
「やめてください!」
ソフィアの悲鳴はかき消される。
しばらくもつれあった後、その中のひとりの男が、ふいに持っていたアルコールの瓶をショーンの後頭部にうちおろした。
ふらつくショーン。そこへもうひとりの男が、ショーンの顔面に足蹴りをくらわせたのをソフィアはスローモーションのように見た。金色の豊かな髪が揺れ、ショーンは、血しぶきの雨を降らせながら音もなく床に崩れ落ちた。
ソフィアが息を飲む。
なった。
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あすかさま
コメントをありがとうございます。
今回のテリィをカッコいいとおっしゃってくださり、ありがとうございます♡
とても救われています。
昔、湖に落ちたイライザを助けて、彼女の恋心を決定的にしてしまったテリィ。
自分にその気がなくても、女子に優しくしてまたまた災いを招くテリィ。
おまけに、別れた女の子のことをうじうじ思う「引きずり男」
こんなテリィじゃ、テリィじゃない!ってお叱りをうけるのでは??と心配しているので、あすかさまのお言葉が「力」になります。
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ジゼル様
こんにちは。
毎回楽しみに拝読させていただいております。
今回のお話よかったー。
食い入るように読んでしまいましたよ。
テリィカッコよすぎるし。
とにかくとってもとっても良かったです‼️
これからも是非、読ませてくださいね。
楽しみにしています。
どうぞよろしくお願い致します。
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candyさま
いつも熱いコメントをありがとうございます♡
今回のテリィをカッコいいとおっしゃっていただいて、すごく嬉しいです♡
我が子を誉められたような気持ちになるのはなぜ?(笑)
きっと、candyさまも(私と同じように)テリィに騎士のように助けられたり、お姫様みたいに扱われたい♡と思われてるのではないでしょうか。
一緒です~♡
これからも読んでいただけたら嬉しいです♡