「ビッグニュースだぜ!」
劇場マネージャー、ブライアンの部屋から血相を変えて戻ってきたトビーが、スプリングガーデン劇場内にある練習室で休憩をとっていた仲間3人に声をかけた。
今回のキャストたち、すなわち「マイガールのカンパニー」は、すでに始動している。
キャストの顔合わせ、演出サイドからの作品に寄せる思いや様々な指示、衣裳や舞台セットなどの説明も終わり、今日も順調に立ち稽古が進んでいた。
主役のカイル・レイン役だけが未定、ということを除いては、だが。
その主演俳優については、遅れて合流すると舞台監督のゲネスから知らされていて、外部から売れっ子俳優を連れてくるつもりなんだろうと囁かれていた。
そして今は、アンサンブルのアランが、その「アンダー」(代役)をつとめている。
その休憩中のこと___。
「驚くなよ。」
トビーが集まってきたショーン、サイモン、アランの顔を見渡した。
「あのテリュース・グレアムがストラスフォードに戻ってきているんだ!しかも、今どこにいると思う?」
そこでトビーは言葉を切り、唾を飲み込んだ。
「なんと今ヤツは、ブライアンの部屋にいるんだ。俺が書類を受け取りに部屋に行ったら、ブライアンとゲネスと3人で何やら難しい話をしていたぜ。」
「まじかよ・・・」
サイモンがつぶやく。
「つまり・・・。それって・・・」
ショーンが、少し考えるように黙ってからひとつの疑問を口にした。
「今回の主演は、あのテリュース・グレアムってことなのか?どこかの売れっ子俳優じゃなくて?」
今この時期に、テリュースが幹部の部屋にいたのなら、その可能性は限りなく「黒」に近い。
「ありうるな。」
サイモンが断言すると、ショーンが、近くに置いてあった箱馬を蹴り飛ばした。
「チックショー!やってらんねえぜ。あんなおんぼろロミオが主演?」
劇団のメンバーには、テリュースをよく思っていない人間も多かった。
「よく恥ずかしげもなくノコノコ帰ってこられたもんだよな。アイツのせいでどれだけストラスフォードの名前に傷がついたか。」
ショーンが、吐き捨てるように言う。
ショーンは、リア王のオーディションで、フランス王役をテリュースと争って負けてから、誰よりもテリュースには辛口だった。
「まったくだ。ヤツの『ロミオとジュリエット』は、ストラスフォード劇団始まって以来の最短打ち切りなんだろ?」
「ああ、らしいな。」
ストラスフォードの者なら、知らぬ者などいないその「汚点」
『台詞はとちる、その演技のまずさ』
『演技には情熱のかけらもなく』
一時期、ゴシップ誌だけでなく、正統派の演劇誌ですらテリュースのことを書き立てていた。私生活も含めて。
「なのになんで、ヤツがまた主演をやれるんだ?俺たちには、オーディションのチャンスすら与えられていないのに。」
ショーンは怒りの矛先(ほこさき)をどこにむけていいのかわからなかった。
オーディションがなければ、ふつうは役にはつけない。その話が本当なら、テリュースはオーディションなしで主役の座を手にしたことになる。
「どうせ、金の計算しかやらないニックが、外部の売れっ子俳優より、近いところにいる男前の方が安くあがるとでも考えたんじゃないのか?」
サイモンが声のトーンを落としてささやくように言う。
「ありうるな。でもそもそも、テリュースは、舞台に上がれる状態なのかよ。ロミオの芝居がズタボロで、舞台が打ちきられた挙げ句、トンズラしたんだろ?」
ブライアンの部屋でテリュースを見たトビーにもそれはわからない。
「リチャード3世」の時も、「リア王」の時も期待の新人として、日の出の勢いだったテリュースが、なぜいきなり「ロミオとジュリエット」の途中であれほど崩れたのか、なぜ失踪したのか、真相を知る者はいない。
劇団サイドや当事者は口をつぐんでいるし、ゴシップ誌の内容は、雑誌によって書いてあることがまったく違っている。
「そもそもアイツがあんなにガタガタになった原因は、スザナの事故が原因だと本当に思うか?愛するジュリエットのケガは自分のせいだと責任を感じて?」
ショーンが仲間の顔を覗き込む。
それは、多くの劇団員が抱いている疑問だった。
「それはない、と俺は思うな。もし、自分のせいだと責任を感じたなら、そもそもスザナを置いて失踪したりしないだろ。ジュリエットの分も立派に舞台をやり遂げようとするのが役者ってもんじゃないか?」
ショーンの言い方は、どこまでもとげとげしい。
「だけど、頭ではわかっていても感情がついてこないってこともあるだろ?」
と、アラン。
「スザナの方が、怪我を盾にテリュースに結婚を迫っている、とも聞いたぜ。するとテリュースは、無理矢理結婚させられるのが嫌だった、とか?・・・・・いや、それはないな。あんな美人から迫られたら、男なら誰だって大歓迎だ。」
そこへ、スザナの名前に敏感に反応したサイモンがムキになって否定する。
「それは、違うからな!スザナは絶対にそんな女じゃない!」
結局、劇団の誰もテリュースの乱行のはっきりとした理由を説明できる者はいないのだ。あくまでも推測の域をでない上、納得のいく推測すら浮かばないのだった。
「ま、よくはわからないが、そもそも女がらみの私生活を舞台に持ち込む男なんて最低だよな。」
トビーが、なんとなくそれっぽいことを言うと、あとの3人も大きくうなづいた。
その直後。
がやがやと声がして、劇場プロデューサーのブライアン、舞台監督のゲネス、そして最後に、やはり予想通り、どこか固い雰囲気の漂うテリュース・グレアムが練習室に入ってきた。
「みんなに紹介しよう。今回のカイル・レイン役のテリュース・グレアムだ。」
スプリングガーデン劇場の「マイガール」は、あと1週間ちょっとで初演日を迎える。
今日は、初めてのランスルー。(通し稽古)
すでに、劇場プロデューサーのブライアンをはじめ、舞台監督のゲネスなど、演出サイドの幹部たちも客席中央に設けられた特別席にスタンバイしている。
ひとつだけ通常と違うのは、幹部席に戯曲家のスカーレット・メイの姿がないということだけだ。
そのスカーレット・メイの「マイガール」は、イギリス、ロンドンのイーストエンド(下町)を舞台にした恋物語。
名門貴族、カーライル伯爵家は、ある日、跡取り息子のケヴィンを事故で亡くしてしまう。慌てたのが、高齢の現当主ヘンリー・カーライル伯爵。
イギリスの法律では、跡をつげるのは、直系の男子のみ。妹のマリアは、チェスター侯爵家に嫁いでいて、彼女が婿養子を迎える、という裏技も使えない。このままではカーライル伯爵家は断絶になってしまう。
そこで、カーライル伯爵は、自分が昔、若い女に入れあげ、一夜の過ちでできたもうひとりの息子、カイルの行方を探しだし、跡継ぎとして爵位を継がせようと考える。
そんなカーライル伯爵の元へ、顧問弁護士バリーが息子として見つけてきたのは、顔だけは良いが、品のない、ガサツで無教養なロンドンのイーストエンドに住むカイル・レインという青年だった。
「よぉ!俺のローズ!今日もバリバリ儲けているかぁ?」
「カイル」に扮するテリュース・グレアムが、魚市場の女性従業員たちに魅力的な笑顔を振りまきながらやってきて、強引にソフィア・グリフィス扮する「ローズ」の肩を抱く。ちょっと酒が入っているのか、足元が怪しい。
「もう!カイルったら。今日はちゃんと仕事には行ったんでしょうね?」
魚市場の看板娘ローズが、抱き寄せられたカイルの手をパチンとはたいた。ローズは、大きな黒い瞳がトレードマークのちゃきちゃきした威勢のいい女の子。
「ってぇ。もっと優しくしてくれよぉ、ローズ。お前のこと、愛しているんだからさ。」
カイルがひどい下町訛りで、大袈裟に情けない声をあげる。
「なぁ、ローズ。俺って、なんとか伯爵ってえらーい貴族のじいさんの子供らしいぜ。めちゃくちゃかっちょいいスーツを着こなした弁護士にそう言われたんだ。でさ、ロンドン郊外にあるでーっかい屋敷に連れてかれて、お前は俺の息子だって、その伯爵のじいさんが言うんだ。お前が跡継ぎだ、って。俺っちのかあちゃんは、生きてる間中、お前の父ちゃんはロクデナシの飲んだくれで、若い頃におっちんで(死んで)しまったって言ってたんだけどなぁ。」
カイルが、ローズの目をのぞきこむ。
「なぁ、ローズ、お前、どう思う?」
「って、ことはカイル、仕事も行かずに、そんな妄想しながら飲んでたってこと?」
ローズが怒って、長いスカートのまま、カイルの足を蹴りあげる真似をする。
「おっと、あぶね。なにするんだよ、ローズ。本当なんだって。本当の、本当の、本当の話なんだ。」
「おいサイモン、あのカイル・レイン、本当にあのテリュースが演ってるんだよな?」
舞台の袖で、次の出番までまだしばらく時間のあるアランが、同じく隣で見ていたサイモンに、舞台から視線をはずさないまま、身体だけを傾けてボソボソと声をかけた。
「だよな、俺もそう感じてる。あれは、絶対テリュース・グレアムじゃない。」
目の前のカイル・レインは。
サラサラと揺れる栗色の髪も、通った鼻筋も、長い睫毛も、すらりとした長身もすべてテリュースその人なのだが、いつもと何かが違う。
どこかが変だ。
「テリュースって、いつもスカしてお高くとまってるし、普段から完璧なキングスイングリッシュを口にして、偉そうで鼻につくヤツだと思ってたんだ。」
アランがしきりに首を傾げる。
「でもまぁたぶん、そういう「出」だから生まれつきあの雰囲気なんだろうな、なんて思っていたけど、意外とテリュースって、ロンドンのイーストエンド(下町)生まれなのかもしれないな。TODAYを『トゥ、ダイ』、MONEYを『モニー』だってさ。まさに本物のカイル、だよな。」
感心したようにそんな感想を口にした。
「お前、もしかして、知らないのか__?」
それを聞いたサイモンが、呆れたようにまじまじとアランの顔をみた。
「ヤツは、エレノア・ベーカーの隠し子だって噂なんだぜ。演劇界のタブーみたいになっているが、みんなは蔭でそう囁いている。それに、ヤツの父親はイギリスの貴族だともアラブの王族だとも言われているし、ロンドンのイーストエンド出身なんかであるはずがないだろ。」
サイモンは、テリュースが、劇団にやってきた時のことを今も鮮明に覚えている。
見た目がいいヤツなんてゴマンといるこの世界で、見た目だけでなく何か特別なものを持っていると感じさせるあの男。
入団当時から、テリュースは良くも悪くもひとりだけ目立っていた。いつも彼のところにだけ、スポットライトが当たっているような感じ。
そして、たぶんみんな、それを無意識に感じるらしく、同性には嫉妬心を、異性には恋心を抱かせるようだった。
だから、同期のスザナも・・・。
サイモンはスザナの言葉を思い出す。
「ねぇ、サイモン。あの人、オーディションに受かるかしら?受かるわよね。あんなに素敵なんですもの。」
テリュースが入団してからもスザナはサイモンにことあるごとにテリュースへの想いを口にするようになった。
「彼、恋人はいるのかしら?女性には関心がなさそうだけど、わたし、振り向かせてみせるわ。絶対に彼の恋人になりたいの。」
今はどうしているんだ、スザナ。サイモンは、最後にみたスザナの事故のシーンがどうしても頭から離れなかった。
他の劇団員は、ちょくちょくスザナの見舞いに行っていたが、サイモンはどうしてもスザナに会う勇気がなかった。
俺の女神の脚が失くなるなんて、耐えられない。
急に翳ったサイモンの暗い表情にまったく気付かないアランが納得したように大きく頷いた。
「なるほどねぇ。確かに、どれも納得できる噂だな。テリュースって、女でもやっていけそうなくらい綺麗な顔をしているし、悔しいけどそこにいるだけで品もあるしな。」
アランが、サイモンの神経を逆なでしていることに気付かないまま、思ったことを素直に語る。
もしかしたら、サイモン自身も気付いていなかったのかもしれないが、アランの言葉にまた少し心が毛羽立つサイモンがボソリと言う。
「でも、アラン、考えようによっちゃあ、あれだけ帝王然としたオーラがあるとかえってそれが邪魔になって、どんな役を演じても『テリュース・グレアムでござい!』になっちまうとおもったが・・・」
ふと、そこまで言ってサイモンが口をつぐむ。
「意外と・・・」
「・・・だよな。どこからみても、軽くて品のない、教養のかけらもないカイルに見える。。。」
ふたりは舞台の上のテリュースを見つめたまま頷きあった。
次のお話は
↓
永遠のジュリエットvol.7 〈キャンディキャンディ二次小説〉スプリングガーデン劇場。
「マイガール」2幕目は___。
チェスター侯爵家に嫁いでいる異母妹...
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ABOUT ME
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はじめまして。
キャンディ•キャンディは私が小学生の頃、唯一夢中になった漫画でした。
今現在 漫画は手元にありませんが…
『マイガール』のお話を読んだ時、ん?これと似た話を知ってる!と思ったのですが、ハッシュタグで気付きました。やはり『ME AND MY GIRL』が元ネタだったのですね。
私はタカラヅカで観ました。とても素敵なお話で大好きな作品です。
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aymtkyjin1374さま
はじめまして!メッセージをありがとうございます。
すごく嬉しいです。
私も小学生の頃、キャンディキャンディを夢中で読みました。(同世代ですね嬉)
ミー&マイガール、素敵なミュージカルですよね。私も大好きです。
初めて観たのは、ロンドンでしたが、その後、宝塚版も観て、ロンドン版よりいい!!と思ってしまいました。
なぜなら、主役のビルが宝塚版は超イケメン‼️(天海祐希さんでした)
ストーリーも宝塚版が1番きゅんきゅんするような気がします。歌もいいですよね!
「イギリス貴族でクールなテリィ」に演じて欲しいお芝居は??と考えた時に、1番私が観てみたいお芝居は、テリィの「ビル」でした。
テリィと正反対のキャラの主人公ビル。テリィは嫌がりそうですが、意外と似合いそうな。。。
そんな気持ちで、私なりに選んでみました。
これからも読んでいただけたら、嬉しいです。よろしくお願いいたします。
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>ジゼルさん
返信ありがとうございます。
天海祐希さんのをご覧になったんですか。羨ましい 退団公演でしたね。
私は当時、子育て真っ只中で、天海祐希さんの公演は観に行けませんでした…ビデオで観ました。
その後、他のトップさんが主役のミーマイを観ましたが、天海祐希さんのが一番好きです
キャンディ•キャンディの漫画を手放してしまったこと、今めっちゃ後悔してます…
まさかもう一度キャンディ熱が再燃するとは思ってもみませんでしたが、二次小説はコロナ禍での唯一の楽しみになってます。
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aymtkyjin1374さま
天海祐希さんのビルは、本当にはまり役だと思います。
ビルのちょっといい加減っぽい軽さの中に、唯一の「サリーへの愛」を秘めていて、切なくて幸せなストーリー。
だからでしょうか。
テリィに演じて欲しい、と思うのは。
キャンディキャンディの漫画を手放されたとのこと、まさか裁判になって絶版になるなんて、あの頃は思いもしなかったですよね。
図書館にもよるみたいですが、キャンディキャンディファイナルストーリーを置いてあるところもあるようです。
また、私が読ませていただいた方のブログでは、図書館にキャンディキャンディの漫画も置いてあることもあるそうなんです。
1度尋ねられたらいかがでしょうか?
ファイナルストーリーは、小説で、漫画でいう1巻から4巻あたりまでと、手紙のやりとりからキャンディのその後の生活がわかるんです。
aymtkyjin1374さんのお近くの図書館にキャンディキャンディがありますように!
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ジゼル様
お邪魔します。遅ればせながら読み進めています。ノッてきましたねぇ✨。
テリィのオーラと実力いくらでもおかわりいけます 。
漫画の世界観と時間軸に忠実って貴重。この先も楽しみです!
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7candyboxさま
コメントをありがとうございます。
丁寧に読んでくださって、感謝しています
テリィは、心の整理もできないまま、NYでキャンディといきなり別れ、精神の均衡をくずしながらもロックスタウンでキャンディの幻に会って、再起を誓うのですが、やはり、頭の中で「こうしなければ」と思うことと、「感情」は違うと思うんです。
芝居にわき目もふらず突き進もう、と思いながらも、ふとした瞬間にキャンディを思い出すテリィがいてくれたら嬉しいと私は思っています
そんな様子を描けたら、と思っています。